朝鮮王朝の年表4〔1592-1689年〕

 

朝鮮出兵という戦乱の時代を経て、光海君や粛宗という有名な王の統治時代を年表でたどっていきましょう。

◆1592年から1636年まで

〔1592年〕4月13日、豊臣軍が釜山(プ)(サン)に上陸。壬辰倭乱(イム)(ジン)(ウェ)(ラン)(日本でいえば文禄の役)が始まる。5月2日には都の漢陽が陥落する。宣祖はいちはやく北に向かって逃亡して、王としての責務を放棄する。苦境に陥った朝鮮王朝だが、水軍を率いた李舜臣(イ)(スン)(シン)の大活躍で挽回する。
〔1598年〕豊臣秀吉の死をもって戦乱が終結。最後の海戦で李舜臣は流れ弾が当たって戦死する。
〔1607年〕朝鮮王朝と江戸幕府の間で外交関係が築かれ、最初の朝鮮通信使が日本を訪れる。以後、江戸時代に朝鮮通信使は12回来日している。
〔1608年〕15代王・光海君(クァン)(ヘ)(グン)が即位。
〔1610年〕許浚(ホ)(ジュン)が不朽の医学書「東医宝鑑」を完成させる。
〔1614年〕光海君の異母弟だった永昌大君(ヨン)(チャン)(デ)(グン)が政権側の刺客によって殺害される。これによって、光海君は多くの怨みを買う。




〔1623年〕クーデターによって光海君が王宮を追放される。クーデターを主導した宣祖の孫が16代王・仁祖(イン)(ジョ)として即位する。歴史的には、「仁祖反正(イン)(ジョ)(バン)(ジョン)」と呼ばれている。
〔1627年〕北方で勢力を伸ばした後金が3万人の兵力で朝鮮王朝に侵攻。最後は和睦が成立する。この出来事は「丁卯胡乱(チョン)(ミョ)(ホ)(ラン)」と呼ばれている。
〔1636年〕後金が国名を清に変え、10万人を超える大軍で再び朝鮮王朝を襲う。圧倒的な軍事力に対抗できず、仁祖は都の南にあった山城に籠城する。この出来事は「丙子胡乱(ピョン)(ジャ)(ホ)(ラン)」と呼ばれている。

朝鮮王朝の年表5〔1694-1811年〕

朝鮮王朝の年表2〔1450-1485年〕

朝鮮王朝の年表3〔1494-1591年〕




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