朝鮮王朝の年表1〔1392-1446年〕

◆1398年から1446年まで

〔1398年〕太祖の息子たちによる骨肉の争いが激化。五男の芳遠(パン)(ウォン)は芳碩の後見人で王朝最高の功臣だった鄭道伝(チョン)(ド)(ジョン)を殺害。その後に芳碩を排除して実権を握る。歴史的に「第1次王子の乱」と呼ばれる。その結果、太祖は退位して次男の芳果(バン)(グァ)が2代王・定宗(チョン)(ジョン)として即位。しかし、権力を掌握していたのは芳遠で、定宗には実権がなかった。
〔1400年〕太祖の四男・芳幹(パン)(ガン)が王位を狙って挙兵。芳遠と対立するがすぐに鎮圧されて芳幹は流罪となる。これを「第2次王子の乱」と言う。芳遠は、王位継承をこれ以上混乱させないために、3代王・太宗(テ)(ジョン)として即位する。




〔1408年〕隠居していた太祖が73歳で息を引き取る。
〔1418年〕太宗が王位を三男に譲る。4代王・世宗(セ)(ジョン)の誕生である。しかし、太宗は上王として軍事を掌握し、相変わらず最高実力者だった。
〔1422年〕太宗が死去。名実ともに世宗時代が始まる。
〔1443年〕世宗の主導によって、民族固有の文字である訓民正音(フン)(ミン)(ジョン)(ウム)が完成する。訓民正音は後の「ハングル」である。
〔1446年〕訓民正音が正式に公布される。しかし、特権階級による漢字偏重政策が続いて、訓民正音は世宗がめざしたほどには普及しなかった(真の意味で国語になったのは20世紀に入ってからである)。

年表作成=康 熙奉(カン・ヒボン)

朝鮮王朝の年表2〔1450-1485年〕

朝鮮王朝の年表3〔1494-1591年〕

朝鮮王朝の年表4〔1592-1689年〕




固定ページ:
1

2

関連記事

ページ上部へ戻る