トンイと争った張禧嬪(チャン・ヒビン)の生涯(前編)

仁顕王后の後悔

張禧嬪にとって仁顕王后は恩人と言えるべき存在だが、張禧嬪はその恩人に対して感謝するどころか傲慢(ごうまん)に振る舞うようになった。そんな彼女の様子を見た仁顕王后は、自分のしたことを後悔した。
明聖王后の意志が正しかったことを実感した仁顕王后は、粛宗に他の側室に変えるように進言して新たな側室を選んだが、粛宗は寵愛している張禧嬪のもとへ通い続けて、新しい側室のもとへは向かわなかった。




当時、粛宗は王の後継者となる息子がいないことに焦りを感じていた。彼の最初の王妃だった仁敬(インギョン)王后は、娘を3人産んだが19歳という若さで亡くなってしまい、二番目の王妃の仁顕王后は子供を産む気配がまったくなかった。
そのため、粛宗は張禧嬪が息子を産んでくれることに期待していたが、彼女には王の息子を産んで自らが王妃になるという野望があった。
張禧嬪を王宮に戻したことを後悔した仁顕王后。そんな彼女の立場がさらに悪くなる出来事が起きた。1688年に張禧嬪が粛宗の息子の昀(ユン/後の20代王・景宗〔キョンジョン〕)を産んだ。(ページ3に続く)

トンイと争った張禧嬪(チャン・ヒビン)の生涯(中編)

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