トンイと争った張禧嬪(チャン・ヒビン)の生涯(後編)

空席となった王妃の座

自分の息子が王になることを望んでいた張禧嬪。その息子は、後に20代王・景宗(キョンジョン)として即位するので、張禧嬪の望みは叶ったことになる。
しかし、景宗には子供ができなかった。張禧嬪が彼の下腹部を強く握ったことが関係したのかどうか。




仁顕王后が亡くなり、張禧嬪も死罪になったため、王妃の座は再び空席となった。このとき、一番王妃になる可能性が高かったのは淑嬪・崔氏だが、彼女は生まれたときの身分が低すぎたために、ずっと側室のままだった。
女官として王宮に入った張禧嬪は、王妃になるという朝鮮王朝で最高の栄誉を手にした。最終的に死罪となってしまった張禧嬪だが、彼女も粛宗によって振り回された被害者の1人と言えるのではないだろうか。

文=康 大地(コウ ダイチ)

トンイと争った張禧嬪(チャン・ヒビン)の生涯(前編)

悪女と言えば張禧嬪(チャン・ヒビン)/朝鮮王朝悪女列伝5

淑嬪崔氏(トンイ)/朝鮮王朝美女物語2

「朝鮮王朝三大悪女」よりもっと強烈な悪女とは?



固定ページ:
1 2

3

関連記事

ページ上部へ戻る