アーカイブ:2017年 9月
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英祖(ヨンジョ)の生涯4/なぜ思悼世子(サドセジャ)を餓死させたか
世子を廃された荘献は、ただ許しを請うばかりで一向に自決しようとはしなかったため、英祖は配下の者に米びつを持ってこさせた。その中に荘献を閉じこめて、「絶対に米びつのフタを開けてはならない」と言った。 …詳細を見る -
光海君(クァンヘグン)への恨みを晴らした仁祖(インジョ)の復讐劇!
朝鮮王朝の14代王・宣祖(ソンジョ)は1567年に15歳で即位した。1592年には豊臣軍による朝鮮出兵があり、朝鮮王朝は存亡の危機を迎えたが、戦乱は1598年に終結して宣祖は復興に力を入れた。 …詳細を見る -
英祖(ヨンジョ)の生涯3/なぜ思悼世子(サドセジャ)を餓死させたか
数年の間、景宗毒殺の噂に悩まされ続けた英祖だが、その苦境を脱した後は徐々に王権を安定させていった。英祖の最初の妻は貞聖(チョンソン)王后だが、2人の間に子供はいなかった。英祖の最初の子供は側室から生ま…詳細を見る -
英祖(ヨンジョ)の生涯2/なぜ思悼世子(サドセジャ)を餓死させたか
景宗(キョンジョン)が早世したことで、淑嬪(スクピン)・崔(チェ)氏の息子だった延礽君(ヨニングン)が21代王・英祖(ヨンジョ)として即位した。彼は、王としてどのような政治を行なったのだろうか。 …詳細を見る -
英祖(ヨンジョ)の生涯1/なぜ思悼世子(サドセジャ)を餓死させたのか
朝鮮王朝21代王・英祖(ヨンジョ)は、27人の王の中で一番長生きした王として知られている。彼は、自分の息子を餓死させるという事件を起こしているが、いったいなぜそんなことをしたのだろうか。 …詳細を見る -
仁祖(インジョ)はなぜ趙氏(チョシ)をあれほど寵愛したのか
仁祖(インジョ)の側室として王宮の中で横暴にふるまったのが趙氏(チョシ)だった。彼女は昭容(ソヨン/側室に与えられる正三品の品階)のときは昭容(ソヨン)・趙氏(チョシ)と呼ばれ、貴人(キイン/側室に与…詳細を見る -
宗廟(チョンミョ)/朝鮮王朝王宮探訪6
宗廟(チョンミョ)は正確に言うと王宮ではありません。しかし、ある意味では王宮以上に重要な場所でした。なぜなら、ここには朝鮮王朝の歴代の王と王妃の位牌が丁重に祀られているからなのです。 [capt…詳細を見る -
慶熙宮(キョンヒグン)/朝鮮王朝王宮探訪5
朝鮮王朝の「五大古宮」の中で一番規模が小さいのが慶熙宮(キョンヒグン)です。五大古宮の中では最も西側に位置しています。ここも、歴史に翻弄されて様々な運命をたどっています。 [caption id…詳細を見る