英祖(ヨンジョ)の生涯1/なぜ思悼世子(サドセジャ)を餓死させたのか

粛宗の後を継いだ景宗

1718年3月9日に延礽君の母親である淑嬪・崔氏が48歳で世を去った。世子になっていたのは張禧嬪の息子の昀だが、母親が罪人として亡くなっているため、安心はできなかった。
当時、南人派(ナミンパ)と西人派(ソインパ)の派閥闘争が起きていた。初めは張禧嬪の後ろ盾があったため南人派が優勢だったが、張禧嬪が死罪となったことで勢力を失ってしまった。




代わりに勢力を強めた西人派が政権を牛耳っていたが、内部で意見の対立があって、老論派(ノロンパ)と少論派(ソロンパ)に分裂してしまう。2つの派閥のうち、粛宗が重用していたのは、淑嬪・崔氏と延礽君を支持する高官の多い老論派だった。
老論派は、世子の昀に対して、30歳になるのに子供が1人もいないことを攻めた。昀に子供がいない理由は、母親の張禧嬪が亡くなる前に、息子の下腹部(膀胱の上のあたり)を強く握ったことで残った後遺症だと思われる。そのことに危機感を抱いた粛宗は、延礽君に代理で政治を任せようとしたが、昀を支持する少論派が反発して、延礽君を支持する老論派と対立が起こってしまう。
1720年6月8日、老論派と少論派の派閥闘争が起こる中で粛宗が世を去り、張禧嬪の息子の昀が後を継いで20代王・景宗(キョンジョン)として即位した。
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英祖(ヨンジョ)の生涯2/なぜ思悼世子(サドセジャ)を餓死させたか

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