英祖(ヨンジョ)の生涯4/なぜ思悼世子(サドセジャ)を餓死させたか

英祖について紹介している『いまの韓国時代劇を楽しむための朝鮮王朝の人物と歴史』(康熙奉〔カン・ヒボン〕著/実業之日本社発行)

老論派が抱いた危機感

1775年11月20日、英祖はある重大な発表をするために重臣たちを集めていた。このとき81歳だった英祖は、身心ともに限界だったため、祘に代理で政治をさせるという意志を明確にした。それに対して、左議政(副総理)だった洪麟漢(ホン・イナン)が世孫は王の後継者に相応しくないというような発言をした。




当時の朝鮮王朝には、「王が亡くなったときに代理で政治をしていた世子や世孫が即位する」という規定があった。そうなってしまえば、老論派が祘の即位を防ぐことは不可能だった。
その一方で、世孫が代理で政治を行なっていない場合は、王の後継者になれる立場であっても年長者の王妃によって世孫が廃される可能性があった。
英祖は、反対の意見を重く受け止めると、しばらく考慮の時間を設けたうえで、世孫と重臣たちに「余のすべてのこと世孫に伝えたい」と述べた。そう言って、彼は祘に代理で政治をさせることを決めたが、重臣たちはそれに反対した。
激怒した英祖は、「みんな出て行け」と怒鳴った。
しばらくして落ち着きを取り戻した英祖だが、あまりにも重臣たちが王命に従わないため、「これから王命を書面化する。誰も立ち去らないでくれ」と感情を高ぶらせて言った。彼は、王命の出納を管理する重職の李命彬(イ・ミョンビン)を呼んで作業を始めさせたが、洪麟漢は命がけで防ごうとした。洪麟漢にとって祘が王になってしまえば、官職を奪われたあげく、処刑されるのが明らかだったからだ。
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英祖(ヨンジョ)の生涯1/なぜ思悼世子(サドセジャ)を餓死させたのか

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