映画『南漢山城』が描く歴史的事件とは?

朝鮮王朝で最悪の屈辱

確かに、南漢山城は防御に適した城なのだが、籠城するだけでは清に対抗することはできない。
城の中では意見が真っ二つに分かれた。
「降伏すべきだ」
「徹底抗戦しなければならない」
高官たちは激しく言い争った。




最後はあまりの飢えで籠城が不可能になって、40日あまりで仁祖は降伏せざるをえなくなった。
1637年1月、仁祖は清の皇帝の前で土下座のように謝罪をして許しを願った。
「国王があんなぶざまな姿になって……」
そばにいた官僚たちは慟哭(どうこく)したという。
それは、朝鮮王朝で最悪の屈辱と言われている。
このような忘れたい歴史の舞台が南漢山城であり、その歴史を描いた映画が『南漢山城』なのである。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

仁祖(インジョ)の屈辱を象徴する三田渡(サムジョンド)の碑!

光海君(クァンヘグン)への恨みを晴らした仁祖(インジョ)の復讐劇!

光海君(クァンヘグン)と仁祖(インジョ)の激闘1



固定ページ:
1

2

関連記事

ページ上部へ戻る