仁祖(インジョ)は王子のときに綾陽君(ヌンヤングン)と呼ばれた!

弟の敵討ちを誓った綾陽君

綾昌君の評判の良さに危機感を覚えたのが、王位についた光海君(クァンヘグン)とその一派であった。
光海君は宣祖の二男でありながら1608年に王位に就き、兄弟たちと骨肉の争いを起こしていた。
そうした混乱に綾昌君も巻き込まれた。彼は光海君を支持する派閥(大北派と称した)から非常に警戒され、結局は謀反の罪を捏造されて殺されてしまった。
大事な息子を失い、父親の定遠君は悲しみの中で世を去った。




綾昌君の死を父親と同じように悲しんだのが、兄の綾陽君だった。
彼は陰謀によって殺されてしまった弟の死を悼み、同時に光海君に対して激しい復讐心を抱いた。
「絶対に王宮から追放してやる」
愛する弟の敵(かたき)討ちを誓った綾陽君は、同じく光海君に恨みを持つ同志を集め、1623年にクーデターを起こした。
光海君が油断していたこともあって、クーデターは成功し、綾陽君は仁祖(インジョ)として空位となった王座についた。
つまり、綾陽君は16代王の仁祖になったのだ。
クーデターを成功させるまでの仁祖は、すばらしい統率力を発揮した。しかし、即位後の彼は凡庸な王であり、朝鮮王朝を混乱させてしまった。
政治的な手腕では、光海君のほうが優れていたのである。

文=康 熙奉(カン ヒボン)
出典=「ロコレ」http://syukakusha.com/

仁祖(インジョ)の屈辱を象徴する三田渡(サムジョンド)の碑!

仁祖(インジョ)はなぜ趙氏(チョシ)をあれほど寵愛したのか

光海君(クァンヘグン)と仁祖(インジョ)の激闘1



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