光海君(クァンヘグン)はなぜ兄の臨海君(イメグン)をさしおいて王になれたか?

2人の運命はどこで変わったか

しきたりは通用しなかった。
朝鮮出兵で捕虜になるという屈辱を受けた臨海君は、釈放された後も酒びたりとなって生活がすさんでしまった。そうした醜態によって、彼は決定的に評価を下げてしまったのである。




その後、宣祖の二番目の王妃となった仁穆(インモク)王后が1606年に嫡子の永昌大君(ヨンチャンデグン)を産んでいる。
しかし、宣祖はその2年後に亡くなってしまい、わずか2歳の嫡子が王位に就くのは無理であった。
そういう事情によって、15代王として光海君が即位したのである。
その翌年に、光海君の一派は臨海君を殺害している。それは、臨海君が光海君の王位を脅かす行為をしきりに行なっていたからである。
臨海君の人生は最後まで無残なものであった。
2人の運命は、朝鮮出兵のときに大きく変わってしまったと言える。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

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