イ・バンウォン(李芳遠)とチョン・ドジョン(鄭道伝)をめぐる悲劇!

「朝鮮王朝実録」の記述は事実?

ついに李芳遠は、部下に命じて鄭道伝の首をはねさせた。
こうして、「朝鮮王朝建国の立役者」と評された鄭道伝は、みじめな最期を迎えた。
最大の政敵を排除した李芳遠は病床にいた李成桂を訪ねて言った。
「鄭道伝が謀反(むほん)を計画していたので首をはねました」




李成桂としても、息子の言葉を受け入れるしかなかった。
以上の出来事は「朝鮮王朝実録」に書かれているが、それを事実としてそのまま受け取っていいものかどうか。
というのは、「朝鮮王朝実録」が後に3代王となった李芳遠に有利なように書かれている可能性があるからだ。
本当に鄭道伝が李芳遠の前で情けなく命乞いをしたのかどうか。
誇り高き鄭道伝が、そんなぶざまな姿をさらしたとは思えないのだが……。
いずれにしても、鄭道伝を排除した李芳遠は、李成桂を退位させて、朝鮮王朝の権力を一手に握るようになった。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

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