アーカイブ:2018年 1月
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光海君(クァンヘグン)と仁祖(インジョ)!統治能力の違いは?
光海君(クァンヘグン)は1575年に生まれていて、仁祖(インジョ)は1595年の生まれだ。年齢はちょうど20歳違う。親戚関係で言うと、光海君が伯父で、仁祖は甥になる。2人は共に国王であったが、その統治…詳細を見る -
廃位となった光海君(クァンヘグン)の最期の地は済州島だった!
朝鮮王朝の15代王・光海君(クァンヘグン)。彼は1623年に仁祖(インジョ)が起こしたクーデターで王宮を追われ、廃位となってしまった。その後の彼が最後に流されたのが、極悪人の流刑地として知られた済州島…詳細を見る -
仁祖の息子の孝宗(ヒョジョン)と孫の顕宗(ヒョンジョン)はどんな王だった?
1649年に即位した17代王の孝宗(ヒョジョン)は、仁祖(インジョ)の二男である。彼は兄の昭顕(ソヒョン)世子(セジャ)と一緒に長く清の人質になっていた。1645年、兄は先に帰国した。この時点で王の後…詳細を見る -
昭顕(ソヒョン)世子は人質から帰国直後に毒殺された
1637年1月、清の大軍に攻められて敗北した朝鮮王朝は、16代王・仁祖(インジョ)が屈辱的な謝罪をして滅亡を免れた。しかし、昭顕(ソヒョン)世子を初めとして仁祖の3人の息子が人質として清に送られた。そ…詳細を見る -
昭顕(ソヒョン)世子は清での人質生活をどう過ごした?
1637年1月、朝鮮王朝は大軍で攻めてきた清に敗北し、16代王・仁祖(インジョ)は清の皇帝の前で土下座のように謝罪した。史上最悪の屈辱で、以後も朝鮮王朝は清に服従を強いられた。 人質となった…詳細を見る -
これが光海君(クァンヘグン)という国王だ!
1623年3月12日の明け方、仁祖(インジョ)に統率された1000人あまりのクーデター軍が王宮を襲い、光海君は王の座から追放された。そのとき、クーデター軍は光海君の罪状を4つ掲げた。それが、反乱を起こ…詳細を見る -
朝鮮王朝の中宗(チュンジョン)はどんな国王だったのか
1506年9月1日、暴政を繰り返した燕山君(ヨンサングン)を追放するためのクーデターが起こった。実行部隊が最初に向かったのは、燕山君の異母弟にあたる中宗(チュンジョン/即位までは晋城大君〔チンソンデグ…詳細を見る -
〔物語〕イ・サンは本当に毒殺されたのか
朝鮮王朝の22代王・正祖(チョンジョ)は、ハングルを創製した聖君・世宗(セジョン)と並ぶほどの名君と評価されている。何よりも、頭脳明晰で学者顔負けの博識だった。彼はドラマ『イ・サン』の主人公としてもよ…詳細を見る -
朝鮮王朝の金字塔「ハングルの誕生」
ドラマ『大王世宗』は、朝鮮王朝最高の名君と呼ばれた4代王・世宗(セジョン/在位は1418~1450年)の人間らしい苦悩を描いた時代劇だ。彼は、韓国の小学校の校庭にかならず銅像があるほど今でも最高の尊敬…詳細を見る -
朝鮮王朝の国王は「毎日が激務」だった
長い朝鮮王朝史の中で最たる悪弊と呼ばれたのが、高等官僚による派閥闘争だった。野合と分裂を繰り返しながら高等官僚たちは党争に明け暮れ、それが政権の屋台骨を揺るがした。ただ、瀬戸際では王の求心力によって危…詳細を見る