朝鮮王朝の中宗(チュンジョン)はどんな国王だったのか

中宗について紹介している『いまの韓国時代劇を楽しむための朝鮮王朝の人物と歴史』(康熙奉〔カン・ヒボン〕著/実業之日本社発行)

中宗反正

相変わらず中宗は即位を拒否していたが、クーデターを成功させた重臣たちが粘り強く説得し、ようやく即位を決意した。とはいえ、優柔不断な態度は本来なら国王にふさわしいとは思えなかった。
それでも、11代王となった中宗は、王宮で即位式に臨んだ。しかし、あまりに急だったので、正式な冠服を着られなかった。
それほど、ドタバタの中での即位だった。
とはいえ、王は王である。中宗は通例にしたがって第一声を発した。
「先の王が道理を失い、民心が窮していたのに、余はそれを救済できなかった。しかし、幸福にも文武の臣たちが朝廷と民に対する重責を担ってくれたので、こうして余が即位することになった」




その後の中宗は大々的な恩赦を実施し、民衆から「万歳!」の歓声を受けた。悪魔のような燕山君の政治が終わり、誰もが解放感にひたったのだ
歴史的に燕山君の追放は「中宗反正(チュンジョンバンジョン)」と称される。「反正」には「乱れを正す」という意味があった。それを中宗が行なったので「中宗反正」なのである。
即位した中宗であったが、クーデターを成功させた重臣たちから正妻の端敬(タンギョン)王后を離縁してくれと依頼された。なぜなら、端敬王后が燕山君の妻の姪であり、父親が燕山君の側近だったからだ。
重臣たちは燕山君の一派の復讐を恐れたのである。(ページ3に続く)

中宗(チュンジョン)と燕山君(ヨンサングン)の異母兄弟同士の確執!

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文定(ムンジョン)王后が継母だったことが仁宗(インジョン)の悲劇!

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