イニョン王妃の悲劇!チャン・ヒビンを愛した粛宗(スクチョン)は何をした?

イニョン王妃はどうなったのか

普通なら、張禧嬪はイニョン王妃に感謝して当然なのに、むしろ態度は逆だった。無視
をするか、陰で悪口を言うか、そのどちらかだった。
なにしろ、イニョン王妃が張禧嬪を呼びつけても、横柄な態度を示すだけだった。
ついに、イニョン王妃も堪忍袋の緒が切れた。
「あの女はいけません。他の側室をお抱えください」
イニョン王妃は粛宗にそう言った。彼女はようやく明聖王后の言ったことが正しいと悟ることができた。
こうして、イニョン王妃の主導によって新たな側室が選ばれた。わざわざ自分で側室を選ぶ正室も本当に珍しい。どこまでも「お人好し」だ。




イニョン王妃の配慮にもかかわらず、粛宗は新しい側室に興味を示さず、相変わらず張禧嬪のもとに通った。
彼はあせっていた。20代の後半になっても跡継ぎとなる王子がいなかったからだ。
最初の正室だった仁敬(インギョン)王后は3人の娘を産んだのちに亡くなっていたし、イニョン王妃も妊娠する兆候をまったく見せなかった。
「息子がほしい。張禧嬪に期待するしかない」
それが粛宗の率直な気持ちだった。
結局、1688年に張禧嬪が粛宗の息子を産むと、イニョン王妃は冷遇された。その末に、イニョン王妃は1689年に廃妃(ペビ)となって王宮を追われてしまった。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

粛宗(スクチョン)の母が張禧嬪(チャン・ヒビン)を王宮から追い出した!

粛宗(スクチョン)は仁顕(イニョン)王后を廃妃にするとき何を語ったか

粛宗(スンチョン)は張禧嬪(チャン・ヒビン)の息子を後継者にしたかった!

〔物語〕もし粛宗(スクチョン)が現代に甦ったら何を語る?



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