イニョン王妃の復活と死!チャン・ヒビンに呪われたのか

イニョン王妃の復位

1694年3月、官僚の1人が「張禧嬪の兄の張希載(チャン・ヒジェ)が淑嬪・崔氏を毒殺しようとした」という告発を行なった。
それが事実なら、張希載の背後に張禧嬪がいることは間違いなかった。王妃が側室の毒殺に関わっていたということで、宮中が大騒ぎになった。
粛宗はついに決意した。それは、張禧嬪を再び側室に降格させて、離縁したイニョン王妃を正室に戻すということだった。
イニョン王妃の復位は多くの臣下たちに歓迎された。




それほど彼女には人望があった。
1694年4月、粛宗はイニョン王妃を再び王妃に迎えるにあたり、自分の胸のうちを明かした。
「最初は奸臣(かんしん)たちにそそのかされて間違って処分してしまったが、ようやく本当のことを悟った」
「恋しくてもどかしい気持ちは時間が経つごとに深くなり、夢で会えばそなたが余の服をつかんで涙を流していた。起きてからそのことを考えれば、一日がむなしいばかりだった。そのときの心境をどうやってそなたが知るというのか」
粛宗は、イニョン王妃を再び正室に戻す喜びを素直に語った。(ページ3に続く)

イニョン王妃の悲劇!チャン・ヒビンを愛した粛宗(スクチョン)は何をした?

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