流刑地で世を去った15代王・光海君(クァンヘグン)/朝鮮王朝国王列伝15

脅かされた王位

王になった光海君だが、臨海君や永昌大君を支持する派閥に王位を脅かされ続けた。そこで、光海君派の臣下は、自分たちの権力を確固たるものにするために、1609年に臨海君を殺した。さらに、矛先は永昌大君に向かった。仁穆王后の願いもむなしく、1614年に永昌大君は殺されてしまう。まだ8歳であった。




しかし、光海君派が起こした〝骨肉の争い〟は王位の正当性を疑われる下地を作ってしまう。1623年、光海君は甥が指揮する反乱軍によって王位を追われた。
光海君は最終的に済州島(チェジュド)に流され、そこで18年間生きた後に1641年に生涯を終えた。66歳だった。

光海君(クァンヘグン)はなぜ兄の臨海君(イメグン)をさしおいて王になれたか?

光海君は廃位になるほどの悪政をしたのか?

光海君(クァンヘグン)への恨みを晴らした仁祖(インジョ)の復讐劇!

光海君(クァンヘグン)の末路!彼は王宮を追放された後にどうなった?

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