『七日の王妃』の端敬(タンギョン)王后はどんな女性だったのか

一目だけでも……

中宗は泣く泣く妻を離縁した。そうせざるをえなかった彼は、「重臣たちに頭が上がらない王」ということを内外に強烈に印象づけてしまった。
実家に帰されて、端敬王后は元王妃として寂しく暮らした。
それから9年後、すでに中宗は再婚していたのだが、二番目の王妃であった章敬(チャンギョン)王后が1515年に中宗の長男を出産した直後に亡くなった。




再び独身となった中宗。このとき、端敬王后を王妃に復位させるべきだという声が宮中で大きくなったのだが、やはりクーデターを成功させた高官の一部が反対して、それは実現しなかった。
中宗が危篤になったのは1544年のことだ。朝鮮王朝の正式な歴史書である「朝鮮王朝実録」には、端敬王后が王宮の正門に駆けつけた、という記述がある。彼女にしてみれば、中宗に一目だけでも会いたかったのだろう。
しかし、端敬王后が王宮の中に入ることはできなかった。
なんとも無情なことだ。
1544年に中宗が世を去ってから13年後の1557年に、端敬王后は70歳で亡くなった。
廃妃となって寂しく王宮を出てから51年が経っていた。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

康 熙奉(カン ヒボン)
1954年東京生まれ。在日韓国人二世。韓国の歴史・文化と、韓流および日韓関係を描いた著作が多い。特に、朝鮮王朝の読み物シリーズはベストセラーとなった。主な著書は、『知れば知るほど面白い朝鮮王朝の歴史と人物』『朝鮮王朝の歴史はなぜこんなに面白いのか』『日本のコリアをゆく』『徳川幕府はなぜ朝鮮王朝と蜜月を築けたのか』『悪女たちの朝鮮王朝』『宿命の日韓二千年史』『韓流スターと兵役』など。最新刊は『いまの韓国時代劇を楽しむための朝鮮王朝の人物と歴史』

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