敬恵(キョンヘ)王女!朝鮮王朝で一番美しい王女の波瀾万丈

「私は王の娘です!」

貞熹王后も用心深い人で、この子には王宮内で女の子の服を着せていました。それでも、最後まで秘密にしておくことができず、世祖にばれでしまいます。
世祖は激怒するどころか、この子を大切にしました。さらに、「長く丈夫に育ってほしい」と、率先してこの子に眉寿(ミス)という名前をつけました。
一方、鄭悰は最後に反逆罪で極刑になります。身体をバラバラにされるという刑です。当時、この刑を受けた男の妻は奴婢になる決まりでした。よって、敬恵王女も奴婢にされてしまいます。




恥をさらしてまで生きたくはなかった敬恵王女。彼女は夫の後を追って自決したかったのですが、そうできない事情がありました。お腹に新しい生命が宿っていたのです。奴婢として使役を課せられそうになったときも、彼女はこう叫びます。
「私は王の娘です!」
身分は落ちても気持ちは高貴だったのです。自らを律した末に彼女が産んだのは娘でした。
世祖は敬恵王女を奴婢にしたものの、時間の経過とともに考えが変わり、彼女の身分を回復させます。そればかりか、王宮の近くに屋敷まで準備しました。しかし、敬恵王女もさすがです。世祖の世話にならずに、尼の道を選びました。
とはいえ、寺にずっとこもる気持ちはありませんでした。4年目に還俗したあとは、極刑となった鄭悰の連座制の罪から息子と娘が解放されることを祈り続けました。
(ページ3に続く)

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