中宗(チュンジョン)と燕山君(ヨンサングン)の異母兄弟同士の確執!(再読版)

兄を恐れた中宗

成宗が尹氏を廃妃にした後、新たに迎えた正室の貞顕(チョンヒョン)王后が産んだ王子が中宗である。
燕山君と中宗の年齢は12歳も離れていた。これだけ離れていると、一緒に遊んだ経験がないのも仕方がないことだ。
しかも燕山君は、自分の母親が廃妃になって中宗の母親が新たな正室になったことを恨んでいた。




そういう因縁もあり、燕山君は中宗のことを何かにつけていじめ抜いていた。弟にとってはもっとも嫌いなタイプの兄だったのだ。
結果的に、中宗は小さいころから燕山君をとても恐れた。その恐怖感が頂点に達したのが1506年であった。
この年に、悪政に耐えられなくなった高官たちがクーデターを起こして、燕山君は王宮から追放された。
そのときに、クーデター軍が新たな王として、満を持して擁立(ようりつ)したのが中宗であった。
(ページ3に続く)

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