中宗(チュンジョン)と燕山君(ヨンサングン)の異母兄弟同士の確執!(再読版)

異母兄弟の因縁

中宗は、クーデター軍が自分を迎えに屋敷まで来たとき、「兄が自分を殺すために兵士を送ってきた」と勘違いして、「もはや、これまで」と自害しようとした。それほど、燕山君のことを恐れていたのである。
しかし、事情がはっきりわかると、今度は自分が王に擁立されることを断固拒否した。中宗は「兄に代わって王になることなんて絶対にできない」と言った。もし兄に代わって王になれば、いずれどんな仕返しをされるかわからなかったからだ。




腹の底から燕山君を恐れていたのが、異母弟の中宗であった。
度重なる説得によって、ようやく中宗は王になる決心をしたのだが、それでも彼はずっと生きた心地がしなかった。「いつ兄に復讐されるか」と震えていた。
燕山君は、流罪先の江華島(カンファド)で廃位後数カ月で息絶えた。その知らせを受けて中宗は何を思ったのか。
彼はようやく熟睡できるようになったのではないか。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

中宗について紹介している『いまの韓国時代劇を楽しむための朝鮮王朝の人物と歴史』(康熙奉〔カン・ヒボン〕著/実業之日本社)

康 熙奉(カン ヒボン)
1954年東京生まれ。在日韓国人二世。韓国の歴史・文化と、韓流および日韓関係を描いた著作が多い。特に、朝鮮王朝の読み物シリーズはベストセラーとなった。主な著書は、『知れば知るほど面白い朝鮮王朝の歴史と人物』『朝鮮王朝の歴史はなぜこんなに面白いのか』『日本のコリアをゆく』『徳川幕府はなぜ朝鮮王朝と蜜月を築けたのか』『悪女たちの朝鮮王朝』『宿命の日韓二千年史』『韓流スターと兵役』など。最新刊は『いまの韓国時代劇を楽しむための朝鮮王朝の人物と歴史』

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