中宗(チュンジョン)のコンプレックスだらけの王座!(再読版)

38年間の治世

中宗は、混乱したまま趙光祖の断罪を決断せざるをえなくなった。自分がもっとも信頼した側近だったが、最後まで趙光祖をかばうことができなかったのだ。そういう意味では、中宗はあまりに優柔不断すぎる王でもあった。
趙光祖の処罰が決まると、全国の儒生(儒教を信奉する学徒)が大挙して王宮の正門前に来て趙光祖の無実を訴えた。それほどまで彼が慕われていたことは、むしろ中宗には恐怖だった。このまま趙光祖が政権内部にいれば、人望を生かして本当に王位を奪いかねないからだ。
趙光祖は1519年に死罪となった。





趙光祖を見殺しにするしかなかった中宗は、以後も絶大な権力をふるうことができなかった。
結局、彼の治世は38年も続いた。
しかし、高官たちに牛耳られた「38年間」でもあったと言える。
晩年は病気がちで床に臥(ふ)せっているときが多く、そのまま1544年に失意のまま世を去った。その人生は、王でありながらコンプレックスが多いものだった。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

中宗について紹介している『いまの韓国時代劇を楽しむための朝鮮王朝の人物と歴史』(康熙奉〔カン・ヒボン〕著/実業之日本社)

康 熙奉(カン ヒボン)
1954年東京生まれ。在日韓国人二世。韓国の歴史・文化と、韓流および日韓関係を描いた著作が多い。特に、朝鮮王朝の読み物シリーズはベストセラーとなった。主な著書は、『知れば知るほど面白い朝鮮王朝の歴史と人物』『朝鮮王朝の歴史はなぜこんなに面白いのか』『日本のコリアをゆく』『徳川幕府はなぜ朝鮮王朝と蜜月を築けたのか』『悪女たちの朝鮮王朝』『宿命の日韓二千年史』『韓流スターと兵役』など。最新刊は『いまの韓国時代劇を楽しむための朝鮮王朝の人物と歴史』

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