『七日の王妃』に登場する端敬(タンギョン)王后の運命!(再読版)

歴史的な中宗反正

自決しようとした晋城大君を必死に止めたのが、夫人の慎(シン)氏だった。彼女は兵士たちの様子を見て刺客でないと見抜いたのだ。
一方、クーデター派の主力部隊は燕山君を支える重臣たちを個別に襲って絶命させたうえで、王宮の正門の外で待機した。
夜が明ける頃には、王宮の各門を守っていた護衛の武人たちも政変が起こったことを知った。すると、彼らは塀を乗り越えて我先にと逃げ出した。こうして、宮中はもぬけの殻(から)になった。
からだを張って王を守ろうとする者はいなかった。それほどに燕山君は愛想をつかされていたのだ。




結局、燕山君は捕らえられて、王の座から引きずりおろされた。
すぐに、燕山君の12歳下の異母弟であった晋城大君が、11代王の中宗(チュンジョン)として即位した。
この王位交代は、歴史的に「中宗(チュンジョン)反正(バンジョン)」と呼ばれている。“反正”とは“乱れを正すこと”であり、大きな意味で「悪い王を追放して新しい王が即位すること」を指していた。
燕山君は王宮から追放されて江華島(カンファド)に流罪となり、2か月後に絶命してしまった。
(ページ3に続く)

『七日の王妃』の端敬(タンギョン)王后はどんな女性だったのか

朝鮮王朝の中宗(チュンジョン)はどんな国王だったのか

中宗(チュンジョン)と燕山君(ヨンサングン)の異母兄弟同士の確執!(再読版)

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燕山君(ヨンサングン)はどれだけひどい暴君だったのか(再読版)




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