アーカイブ:2019年 1月
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中宗(チュンジョン)の挫折!理想的な政治ができなかった国王
中宗(チュンジョン)は、異母兄の燕山君(ヨンサングン)が暴政の末に廃位となったので、1506年に「代理の王」のような形で11代王になった。それが、彼にとっての苦悩の始まりであった……。 …詳細を見る -
首陽大君(スヤンデグン)が起こした癸酉靖難(ケユジョンナン)とは何か
1452年、5代王の文宗(ムンジョン)が亡くなった。まだ11歳だった長男の端宗(タンジョン)が6代王として即位することになり、野心家たちのくすぶっていた権力欲に火がついてしまった。 [capti…詳細を見る -
燕山君(ヨンサングン)はどれだけひどい暴君だったのか(再読版)
9代王の成宗(ソンジョン)は数々の政治的な業績をなし遂げ、名君に列せられるほどの評価を受けた。ただ、女性との間で騒動をいくつか起こしている。その最たるものが正妻の尹(ユン)氏を廃妃(ペビ)にした事件だ…詳細を見る -
張禧嬪(チャン・ヒビン)に死罪を命じた粛宗(スクチョン)に高官が大反対!
粛宗(スクチョン)の正室だった仁顕(イニョン)王后は、1701年8月に亡くなります。すると、淑嬪(スクピン)・崔(チェ)氏が「張禧嬪(チャン・ヒビン)が呪詛(じゅそ)していた」と告発し、粛宗は張禧嬪に…詳細を見る -
張禧嬪(チャン・ヒビン)こそが朝鮮王朝で一番有名な女性!
張禧嬪(チャン・ヒビン)は親戚に通訳官をしている人がいたことから、そのコネで女官として王宮に入ってきた。大変な美女だったということで、やがて19代王・粛宗(スクチョン)の寵愛を受けるようになった。 …詳細を見る -
中宗(チュンジョン)と燕山君(ヨンサングン)の異母兄弟同士の確執!(再読版)
朝鮮王朝の10代王・燕山君(ヨンサングン)と11代王・中宗(チュンジョン)は、韓国時代劇によく登場する王であり、知名度も高い。この2人の父親は9代王・成宗(ソンジョン)だが、母親がそれぞれ違っている異…詳細を見る -
王妃の中で誰が「廃妃」になってしまったのか
朝鮮王朝の法律に沿って王が決定したように、王妃もまた厳格な法を適用されて決められていました。それだけに、王妃を廃妃にするのは容易ではないのですが、実際には多くの王妃が廃妃になっています。 [ca…詳細を見る