安平大君(アンピョンデグン)を死罪にして首陽大君(スヤンデグン/世祖〔セジョ〕)が即位!

悲劇の端宗

端宗復位騒動が相次いだ。
こうした動きは、明らかに端宗の立場を悪くした。
世祖は、端宗が生きているかぎり、同じようなことが再び起こるのではないかと疑心暗鬼になった。
そこで、端宗を平民に降格させて、最後は死罪にしている。それは1457年のことで、端宗はわずか16歳であった。




彼の名誉が回復されたのは、死後200年以上が過ぎた19代王・粛宗(スクチョン)の時代だった。
その間、端宗は歴代の王と認められず、罪人扱いを受けていた。「悲劇の端宗」と言わざるをえない。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

世祖について紹介している『いまの韓国時代劇を楽しむための朝鮮王朝の人物と歴史』(康熙奉〔カン・ヒボン〕著〔実業之日本社/900円+税〕)

康 熙奉(カン ヒボン)
1954年東京生まれ。在日韓国人二世。韓国の歴史・文化と、韓流および日韓関係を描いた著作が多い。特に、朝鮮王朝の読み物シリーズはベストセラーとなった。主な著書は、『知れば知るほど面白い朝鮮王朝の歴史と人物』『朝鮮王朝の歴史はなぜこんなに面白いのか』『日本のコリアをゆく』『徳川幕府はなぜ朝鮮王朝と蜜月を築けたのか』『悪女たちの朝鮮王朝』『宿命の日韓二千年史』『韓流スターと兵役』など。最新刊は『いまの韓国時代劇を楽しむための朝鮮王朝の人物と歴史』

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