神徳(シンドク)王后を異様に憎んだ太宗(テジョン)!

恨みが骨髄に達していた

王朝を新たに打ち立てるほどの才気を持っていた李成桂も、還暦が近くなって判断力が衰えていたに違いない。
「父に裏切られた」
その思いを強くしていた芳遠が黙っているはずがなかった。1396年に神徳王后が世を去ったあと、芳遠は逆襲の機会をうかがい、1398年に神徳王后の2人の息子を死に追いやった。
病床にあった李成桂は、ただ傍観するしかなかった。




情に流された後継者指名の反動は、異母兄弟たちによる骨肉の争いという悲劇を生んでしまった。
先に兄を即位させてから満を持して芳遠は3代王の太宗(テジョン)となった。
太宗は、とても継母が憎かったようで、神徳王后の墓を格下げにして彼女の身分を落とした。それだけであきたらず、神徳王后の親族を厳罰にした。
よほど恨みが骨髄に達していたのだろう。
迷惑したのは、とばっちりを受けた神徳王后の親族たちだった。

最強の3代王・太宗(テジョン)〔李芳遠(イ・バンウォン)〕/朝鮮王朝国王列伝3

太宗(テジョン/李芳遠〔イ・バンウォン〕)と元敬(ウォンギョン)王后の確執!

元敬(ウォンギョン)王后!悲劇に見舞われた王妃

イ・ソンゲ(李成桂)とイ・バンウォン(李芳遠)!朝鮮王朝を作った親子の確執

王朝の基盤を作った太宗(テジョン)!激動の朝鮮王朝史2




ページ:
1

2

関連記事

ページ上部へ戻る