歴史の闇を語る光海君(クァンヘグン)

 

光海君(クァンヘグン)とは誰か?
生没年は1575年~1641年。14代王・宣祖(ソンジョ)の息子として生まれ、1608年に15代王として即位した。巧みな外交と減税政策で、王としての功績は大きかったのだが、1623年に仁祖(インジョ)が主導したクーデターによって王宮を追われ、1641年に流罪先の済州島(チェジュド)で世を去った。

光海君は1641年に済州島で亡くなったのだが……

光海君は1641年に済州島で亡くなったのだが……




油断がいけなかった

光海君に会った。
彼は、済州島(チェジュド)の朝天(チョチョン)の海辺で悠然と釣りをしていた。その姿は、国王であった当時の威厳をそのまま保っているかのようだった。そばに寄って「釣れていますか?」と尋ねたら、ゆっくりと首を振ってこう言った。
「魚をとるために釣りをしているわけではない。考えごとをするには、釣りが一番いいんだ」
その言葉を聞いて気になった。400年近くにわたって、いったい何を考えているというのだろうか。
「最近になって、あなたの評価がガラリと変わりました。暴君と呼ばれていたのに、今では名君だったという声すらあります」
そう声をかけると、ニコリと笑った。
「これもみんな時代劇のおかげだよ。特にイ・ビョンホンが主演した『王になった男』は、私のことをよく描いてくれていた。少しでも悪名を正すことができれば、こんなうれしいことはない」
「クーデターで王宮を追われていますから、そのことが悔やまれてならないでしょう」




「油断しすぎていたのがいけなかった。まさか、出来の悪い綾陽君(ヌンヤングン/後の16代王・仁祖)が、用意周到にクーデターを準備しているとは思わなかった」
そう言うと、光海君は小さな溜息をもらした。
(ページ2に続く)

流刑地で世を去った15代王・光海君(クァンヘグン)/朝鮮王朝国王列伝15

光海君(クァンヘグン)は本当は何をしたのか?

光海君は廃位になるほどの悪政をしたのか?

光海君(クァンヘグン)が庶民のために行なった大同法とは何か

仁穆(インモク)王后の悲願は光海君(クァンヘグン)の斬首だった!

光海君(クァンヘグン)と仁祖(インジョ)!統治能力の違いは?




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