呆然とする思悼世子(サドセジャ)

身内に敵が多かった

振り返ってみれば、思悼世子の人生は老論派の陰謀によって暗転した。さぞかし、老論派を恨んでいたことだろう。その点について思悼世子はこう語った。
「当時、王朝の政治は完全に老論派が牛耳っていた。しかし、それによって政治が旧態依然として民衆のための政治ができていなかった。私はそのことを強烈に批判したが、今でも後悔していない」
「しかし、恨みを買ったがゆえに老論派の陰謀にはまってしまったわけですね」
「老論派は私のことを歪めて父上に報告して、私と父上の間を裂こうとした。卑怯な奴らだった」
「でも、あなたの素行が悪かったことは確かです。そういう意味では、落ち度があったとしか言いようがありません」
「当時の私は図に乗っていた。世子にもなり、何でもできると自分で錯覚したのだ。しかも、酒を飲むと自分の気持ちを抑えられないことが多くなり、それでいろいろな出来事を起こしてしまった」
「側室を殺してしまったり、家臣にひどく暴力を振るったり、王宮を抜け出して怪しい人たちと遊び歩いていたり……」
「すべて不徳の致すところだ。結局は、それが自分にとって命とりになってしまったわけだ」
「妻の恵慶宮(ヘギョングン)とも仲が悪かったそうですね。結局、恵慶宮も老論派の重鎮の娘ですから、家族にも敵がいたということになります」




「妹の和緩(ファワン)、妻の恵慶宮、さらに父上の二番目の正室だった貞純(チョンスン)王后。こうした女性たちが私を陥れたのは確かだろう。それでも、自分が素行を改めてしっかりしていれば、父上があれほど激怒することはなかった」
「確かあなたは、英祖から叱責された後、きちんと反省文を書いて素行を改めるという誓いを立てていますよね」
「その通りだ。私は自ら反省して父上にそのことを報告し、今後は生活態度を改めると誓ったのだ」
「それなのになぜ、さらに親子の関係は悪化したのですか?」
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思悼世子(サドセジャ)の悲劇!朝鮮王朝事件史7

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