朝鮮王朝の悪評の五大国王

屈辱的に王位にしがみついた2人の国王

◆仁祖(インジョ)
〔1595~1649年〕
16代王。在位は1623~1649年。即位前は綾陽君(ヌンヤングン)と言われた。1623年、光海君(クァンヘグン)を追放して即位したが、反乱なども起こり、苦しい王政を強いられた。1636年に清に攻められ、1637年に降伏。清の皇帝の前で頭を地面にこすりつけて謝罪した。朝鮮王朝の27人の国王の中で、仁祖ほど屈辱を受けた人はいない。庶民からも「あまりにだらしがない」とさげすまれた。

◆哲宗(チョルチョン)
〔1831~1863年〕
25代王。在位は1849~1863年。元範(ウォムボム)という名でも知られる。21代王・英祖(ヨンジョ)の4代下の直系で、米びつに閉じ込められて餓死した思悼(サド)世子の曾孫。




王族とはいえ、江華島(カンファド)で農民をしていたが、23代王・純祖(スンジョ)の正妻だった純元(スヌォン)王后の指名によって18歳で王位に上がった。学識に欠けて権力もなかったことから、お飾りとして玉座に座らざるをえなかった。酒と色に溺れ、歴史的にも著しく評価が低い国王であった。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

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