朝鮮王朝の有能な五大高官

 

朝鮮王朝の歴史の中で特に有名な高官といえば、鄭道伝(チョン・ドジョン)、金宗瑞(キム・ジョンソ)、成三問(ソン・サムムン)、趙光祖(チョ・グァンジョ)、朴文秀(パク・ムンス)の5人である。その人物像を見てみよう。




時代劇にも登場した3人

◆鄭道伝(チョン・ドジョン)
〔1342~1398年〕
とても重要な政治家および儒学者である。朝鮮王朝を開いた李成桂(イ・ソンゲ)が一番頼りにした側近で、王朝創設期の基盤づくりに貢献した第一等の功臣だった。1398年、李成桂の八男の芳碵(バンソク)を支えて彼の異母兄を排除しようとしたが、五男の芳遠(バンウォン)に機先を制されて殺害された。

◆金宗瑞(キム・ジョンソ)
〔1390~1453年〕
4代王・世宗(セジョン)の治世時代に名をはせた忠臣で政権の重職を歴任した。勇猛だったので“虎”と称された。6代王・端宗(タンジョン)の後見人となり、「命をかけて端宗を守る」と誓ったが、1453年、自宅で首陽大君(スヤンデグン/後の世祖〔セジョ〕)に不意に襲われて絶命した。




◆成三問(ソン・サムムン)
〔1418~1456年〕
4代王・世宗(セジョン)を支え、ハングルの創製にも関わった。世祖(セジョ)が甥の端宗(タンジョン)から王位を奪ったとき、端宗の復位を狙ったクーデターを計画した。失敗して捕らえられたときに世祖に懐柔されたが、断固として拒否した。その結果、残虐な方法で処刑された。後に、彼を含む6人の同志は、忠誠心を讃えられて「死六臣」と呼ばれた。
(ページ2に続く)

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