王朝の基盤を作った太宗(テジョン)

幼い王が誕生

3代王・太宗の三男がハングルを創製したことで有名な4代王・世宗(セジョン)です。兄2人をさしおいて王になれたのは、すばらしい学識の持ち主だったからでしょう。実際、歴史に残る名君として安定した治世を行ないました。
これだけの名君が出ると、後を引き継ぐ人が大変です。1450年に世宗が世を去ると、長男の文宗(ムンジョン)が5代王となります。
学者なみに頭がよかったのですが、からだが弱く、わずか2年3カ月の在位で亡くなってしまいます。
その死はあまりに早すぎました。
6代王には文宗の長男の端宗(タンジョン)が就きますが、このときはまだ11歳でした。こういう幼い男子が王になると、王族女性の長老が代理聴政(テリチョンジョン/摂政のこと)をするのがならわしでした。




しかし、摂政ができる長老女性が端宗のまわりにはいませんでした。端宗の母は彼を出産した直後に亡くなっていたのです。
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