正祖(チョンジョ)が王として歩んだ人生とは?

毒殺疑惑があった

◆1800年5月、正祖は「今後は新しい人材を登用する」という政治改革を発表した。ところが、翌月になって急な発熱で倒れてしまった。
◆病床にあっても、正祖は侍医の診察を拒み、薬を調合する現場を自分の目で確かめている。しかも、わざわざ地方の名医を呼んで診察を受けた。明らかに、正祖は老論派によって毒殺されることを恐れていたのだ。
◆病状が回復せず、正祖は48歳で亡くなった。その後、貞純(チョンスン)王后(英祖の二番目の正室)によって毒殺されたのではないかという疑惑が起こった。正祖の死で最大の権益を得たのが貞純王后だったのである。




◆世子であった正祖の長男(純祖〔スンジョ〕)が後を継いで23代王になったが、まだ10歳にすぎなかった。貞純王后が代理で政治を仕切ったが、彼女は正祖の改革をつぶし、政敵が多いという理由でキリスト教徒の大弾圧を行なった。朝鮮王朝は最悪な時代に入ってしまったのだ。
◆正祖がもっと長生きしていれば……。朝鮮王朝があれほど衰退することはなかったかもしれない。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

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