淑嬪・崔氏(スクピン・チェシ)はどんな女性だったのか?

 

ハン・ヒョジュが扮したドラマ『トンイ』の主人公。トンイというのはドラマ用にイ・ビョンフン監督が作った名前で、歴史上では淑嬪(スクピン)・崔(チェ)氏と言われている。彼女はどんな人生を歩んだのか。




出会ったときの逸話

◆淑嬪・崔氏は1670年に生まれた。両親のことは不明である。
◆どういう経緯で王宮に入ってきたのか。諸説がある。一番よく言われているのは、身分が低い女性で王宮の水汲み係だったという話だ。他には、仁顕(イニョン)王后と一緒に王宮に入ってきたという話もある。
◆粛宗(スクチョン)との出会いで有名なエピソードがある。
粛宗が夜に寝付けなくなって、王宮の中を散策していると、明かりがついている部屋があった。中では、1人の女性が豪華な食膳の前で祈っていた。
「何をしているのか」
粛宗が尋ねると、女性が答えた。
「今日は仁顕王后様の誕生日でございます。今は王宮にご不在ですが、私がお祝いを申し上げております」
その返答に感心した粛宗は淑嬪・崔氏に好意を持った。そして、側室にした……。




この話は出来すぎている。粛宗との出会いを装飾する作り話ではないのか。
◆当時の政治状況を見ると、西人派が意図的に王宮に送り込んだ女性が淑嬪・崔氏だという可能性が高い。その背景とは何か。
1688年に、側室の張禧嬪(チャン・ヒビン)が粛宗の長男を産んだ。その翌年には正室の仁顕王后が廃妃となり、張禧嬪が王妃に昇格した。当時は、仁顕王后を支持していた西人派と張禧嬪を支持していた南人派が激しく争っていたが、仁顕王后の廃妃で西人派が没落しかけていた。
劣勢の西人派が挽回するために、粛宗が気に入るような女性として淑嬪・崔氏を送り込んだのではないか。そんな推察も成り立つ。
(ページ2に続く)

張禧嬪(チャン・ヒビン)こそが朝鮮王朝で一番有名な女性!

張禧嬪(チャン・ヒビン)に惚れ抜いた粛宗(スクチョン)

張禧嬪(チャン・ヒビン)が女官から王妃に奇跡的な昇格!

張禧嬪(チャン・ヒビン)に死罪を命じた粛宗(スクチョン)

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