晩年に悲劇続きだった世祖(セジョ)は因果応報だったのか

長男の謎の死

礼節と名分を重んじる儒教を国教とする朝鮮王朝において、世祖は本来、正統的な王とは言えない存在だった。
もちろん、存命中には彼を非難する声はかき消されてしまったが……。
そんな世祖は晩年、心の安定を求めて仏教に傾倒していった。そうした心境の裏には、彼の周りに起きた不幸な出来事が関係している。特に、長男の懿敬(ウィギョン)の死が痛手だった。
この懿敬は、世祖の即位と同時に17歳で世子(セジャ/王の正式な後継者)に指名された。
ところが、その2年後に19歳で謎の死をとげてしまった。
一説によると、懿敬は昼寝の途中に悪夢にうなされ、そのまま死んでしまったと言われている。




当時の人たちはそのことを聞いて、幼い端宗を殺した因果応報だと噂した。
さらに、世祖は晩年になって、重い皮膚病に苦しむようになった。
なぜ彼は皮膚病を患ったのか。
(ページ3に続く)

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