光海君(クァンヘグン)!暴君の汚名から名君へと評価が一変した国王

後世の歴史的な評価

1623年、クーデターによって光海君は王宮から追放された。
そのクーデターを主導した仁祖(インジョ)が、光海君に代わって16代王として即位した。
最終的に光海君は済州島(チェジュド)に島流しとなり、そこで18年間生きた後、1641年に66歳で生涯を終えた。
彼は廃位となって島流しになったので、10代王・燕山君(ヨンサングン)と同様に「暴君」と称された。
しかし、歴史研究が進むと光海君の統治が見直されるようになった。




今では、政治的に「名君」だったという評価も出ている。
暴君から名君へ。
後世が歴史的な評価を変える象徴的な例になっているのが光海君なのである。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

光海君(クァンヘグン)は暴君なのか?名君なのか?

光海君(クァンヘグン)が庶民のために行なった大同法とは何か

仁穆(インモク)王后の悲願は光海君(クァンヘグン)の斬首だった!

光海君は廃位になるほどの悪政をしたのか?

光海君(クァンヘグン)と仁祖(インジョ)!統治能力の違いは?




固定ページ:
1 2

3

関連記事

ページ上部へ戻る