5大王宮の一つ「慶熙宮(キョンヒグン)」は歴史の荒波に翻弄されてきた

 

1592年、長く朝鮮王朝の正宮としての役割を果たしてきた景福宮(キョンボックン)が、豊臣軍の攻撃の際に焼失してしまった。戦乱が終わっても、王は住む場所にさえ困るようになった。そんな状況の中で、1617年に建設が始まって1623年に完成したのが慶熙宮(キョンヒグン)だった。

慶熙宮の正門の崇政門(スンジョンムン)

慶熙宮の正門の崇政門(スンジョンムン)

イ・サンが愛した王宮

慶熙宮は、当初は慶徳宮(キョンドックン)という名称だった。しかし、16代王・仁祖(インジョ)の父であった元宗(ウォンジョン)の諡(おくりな)と発音が同じという理由から、1760年に名称が慶熙宮に変更になった。
この慶熙宮は歴代王の住まいとして大変重宝されたが、他のどの王よりも愛したのが、イ・サンとしても知られる22代王・正祖(チョンジョ)だった。「朝鮮王朝実録」の1776年3月10日の項には次のような記述がある。
「王が慶熙宮の崇政門(スンジョンムン)で即位された」
このように、政治改革に情熱を燃やした名君の治世は慶熙宮で始まったのである。しかし、正祖は慶熙宮での生活を望みながら、それを全うすることができなかった。




それはなぜなのか。
実は、1777年7月28日の深夜に、暗殺団が慶熙宮に侵入して正祖の命を狙うという事件が起こったからだった。
(ページ2に続く)

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