英祖(ヨンジョ)は一体どんな国王だったのか

 

21代王・英祖(ヨンジョ)は、27人いる朝鮮王朝の国王の中で一番の長寿だった。在位期間も52年間と長い。半世紀にわたり朝鮮王朝の最高権力者として君臨したのだが、実際にはどんな人生を歩んだのだろうか。




「景宗毒殺の首謀者」という噂

◇英祖は1694年に生まれた。父は19代王・粛宗(スクチョン)で、母は側室の淑嬪(スクピン)・崔(チェ)氏である。異母兄は、粛宗と張禧嬪(チャン・ヒビン)の間に生まれた6歳上の景宗(キョンジョン)だった。
◇1704年、英祖は10歳のときに結婚した。
妻は後の貞聖(チョンソン)王后である。
◇1718年、英祖の母の淑嬪・崔氏が世を去った。続いて、1720年に父の粛宗が亡くなった。
父に代わって、異母兄の景宗(キョンジョン)が20代王として即位した。
◇1724年、景宗が在位わずか4年2カ月で亡くなった。彼には子供がいなかったので、英祖が21代王として即位した。30歳だった。
彼は各派閥から公平に人材を登用する政治を進めた。これは蕩平策(タンピョンチェク)と呼ばれ、英祖の治世を代表する政策の一つになった。




◇英祖を悩ませたのが、「景宗毒殺の首謀者」という噂だった。実は、景宗の具合が悪くなったとき、侍医が「食べ合わせが悪いので差し上げてはいけません」と制止するのも聞かず、英祖は景宗にケジャン(蟹を醤油漬けにした料理)と柿を食べさせた。
さらに、侍医が「いけません」と言ったのに英祖は景宗に人参の煎じ薬を処方した。その後に景宗は息を引き取った。英祖は、疑われても仕方がないような状況を自らつくってしまったのだ。
彼はなぜ、侍医の制止を振り切って逆効果を生んだ処方をしたのか。
その真相は謎に包まれている。
(ページ2に続く)

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