仁祖はなぜ光海君の斬首を拒んだ?

歴史上で非難を浴びたくない

仁祖としても、追放した王の首をはねることは絶対にできなかった。
彼は、クーデターの大義名分すら確立させていないのに、仮にも頂点に君臨した先王を斬首にしたら、王位継承の正統性を得ることは絶対にできないと考えた。
しかも、新しい王が先王を斬首したら、朝鮮王朝の歴史が続くかぎり、大きな非難を浴びることは明白だった。
仁穆王后の「光海君を斬首せよ」という主張は執拗だったが、最後まで仁祖はその言葉に従わなかった。
それは、あくまでも自分の評判を悪くしないためだった。決して光海君の身を案じたわけではなかったのだ。
結果的に、光海君は18年後に流罪先の済州島(チェジュド)で世を去った。66歳まで生きられたのは、仁祖が光海君を斬首にしなかったからである。




それでも、歴史上で仁祖の評判はとても悪い。悪政によって朝鮮王朝を困難に陥れたからだ。
「もし光海君が王宮から追放されなければ……」
少なくとも、朝鮮王朝の政治は仁祖の統治よりずっと良かったことだろう。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

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