王位が危うくなった端宗(タンジョン)は首陽大君(スヤンデグン)を牽制した!

必死に王位を守る端宗だったが……

端宗はまだ喪中の身で結婚できる状況ではなかった。それなのに、首陽大君は強行しようとした。もともと、王の結婚は“国婚”と呼ばれ、準備期間を除いても実際の進行に3カ月以上もかかる大々的なものだった。それを首陽大君はわずか2カ月で終わらせてしまった。それも関係したのかどうか、“国婚”によっても首陽大君が期待したほどの成果はなかった。
ついに、状況を察した端宗は“触れ文”を出した。それは次のようなものだ。
「近頃、首陽大君が余と民に害を及ばす者という流言が出ていたと聞く。これは良からぬ輩が虚言を流して、君臣の仲たがいをもくろみ、国を乱れさせようとするものである。首陽大君の功によって余だけでなく、国もどれだけ助けられていることだろうか。今後、このような流言を広める者があれば知らせるように」




端宗はこのような“触れ文”を何回も発表した。
できるだけ首陽大君を刺激したくなかった端宗は、乱れた民心が少しでも早く安定することを願った。それは、首陽大君に行動を移す口実を与えたくなかったからだ。
いずれにしても、端宗はここまでやらざるをえなかった。しかし、そこには限界があり、彼の王位はやがて首陽大君によって奪われていくのである。

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