イ・バンウォン(李芳遠)とチョン・ドジョン(鄭道伝)をめぐる悲劇!

 

1392年に創設された朝鮮王朝の初代王は李成桂(イ・ソンゲ)だが、建国に尽力した最大の功労者は、李成桂の五男の李芳遠(イ・バンウォン)と儒学者の鄭道伝(チョン・ドジョン)であった。2人はやがて敵対するようになるのだが……。

写真=韓国SBS『六龍が飛ぶ』公式サイトより

 

争いの火種

李芳遠と鄭道伝が争うきっかけになったのは、李成桂が後継者となる世子(セジャ)の選択を間違えたことだった。
一番の実力を持っていた五男の李芳遠(イ・バンウォン)を世子に指名していれば問題がなかったのに、李成桂は八男の芳碩(バンソク)を選んだ。
これが火種になってしまった。自負の強かった李芳遠は異母弟の芳碩を排除する決意を固めた。その際に邪魔となるのが、芳碩の後見人であった鄭道伝(チョン・ドジョン)だった。




ここで両者の対決が避けられなくなった。
1398年8月、李成桂の容態が悪化し、息子たちに招集がかかった。しかし、これは鄭道伝の策略だった。
<王宮に来たときに李芳遠を殺害する>
そんな計画を鄭道伝は立てていた。
しかし、李芳遠はその手に乗らず、逆に鄭道伝とその仲間たちを襲う準備に入った。
そのとき、鄭道伝は仲間と隠れ家で密談をしていた。(ページ2に続く)

イ・ソンゲ/李成桂が行なった歴史的な「威化島回軍」

朝鮮王朝の建国!激動の朝鮮王朝史1

王朝の基盤を作った太宗(テジョン)!激動の朝鮮王朝史2

朝鮮王朝実録を読む1/「王子の乱」と「ハングルの公布」



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