イニョン王妃の悲劇!チャン・ヒビンを愛した粛宗(スクチョン)は何をした?

 

1681年、イニョン(仁顕)王妃は粛宗(スクチョン)の二番目の正室となった。彼女はあまりに人が良すぎた。というのは、粛宗の寵愛する張禧嬪(チャン・ヒビン)が王宮から追い出されたときに、同情を示したのである。

イニョン王妃の弁護

張禧嬪を王宮から追い出したのは、粛宗の母親の明聖(ミョンソン)王后だ。彼女は、張禧嬪が欲深いことを見抜き、早めに手を打ったのだ。
しかし、イニョン王妃は張禧嬪をかばった。
「殿下に気に入られている女官が長く宮中にいないのはいかがなものでしょうか。再び呼んであげるのがふさわしいのでは……」
イニョン王妃がそう言うと、明聖王后はあきれた。




「あの女をまだ見たことがないからそう言うのですよ。あの女は毒々しくて悪だくみをしそうです。主上(チュサン/王のこと)がだまされているのならば、国家にとってもわざわいです。あなたも私の言うことをよく考えてみてください」
ここまで言われても、イニョン王妃は張禧嬪を弁護した。
「まだ起こってもいないことを今から心配しなくてもよろしいのでは……」
いくらイニョン王妃が何を言っても、明聖王后は張禧嬪を宮中に呼び戻すことには反対だった。
しかし、張禧嬪を嫌っていた明聖王后は、1683年に41歳で亡くなった。
すると、イニョン王妃はまたもや人の良さをさらけだす。なんと、張禧嬪を宮中に呼び戻すことを粛宗に進言したのである。
そのおかげで、張禧嬪は王宮に戻ることができた。(ページ2に続く)

粛宗(スクチョン)の母が張禧嬪(チャン・ヒビン)を王宮から追い出した!

粛宗(スクチョン)は仁顕(イニョン)王后を廃妃にするとき何を語ったか

粛宗(スンチョン)は張禧嬪(チャン・ヒビン)の息子を後継者にしたかった!

〔物語〕もし粛宗(スクチョン)が現代に甦ったら何を語る?



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