太宗(テジョン/李芳遠〔イ・バンウォン〕)と元敬(ウォンギョン)王后の確執!

 

李芳遠(イ・バンウォン)が1400年に3代王・太宗(テジョン)として即位すると、その妻は元敬(ウォンギョン)王后となった。朝鮮王朝のファーストレディになった元敬王后だが、その後に恐るべき事態が待っていた。





実家は名門

1365年に生まれた元敬王后は、李成桂(イ・ソンゲ)の五男だった李芳遠(イ・バンウォン)と1382年に結婚した。
当初、2人の夫婦仲は良かった。特に元敬王后は夫のために尽力した。彼女ほど夫を王にするうえで大きな働きをした王妃は他にいない。「内助の功」で言えば元敬王后が一番の功労者だった。
しかし、1400年に李芳遠が3代王・太宗(テジョン)になってから、状況が変わった。
夫婦仲がすっかり冷めきってしまった。
原因は、太宗に側室が多かったことだ。その数は12人。太宗は側室のもとにばかり通うようになり、元敬王后を敬遠した。




冷遇に耐えられなかった元敬王后は、夫を厳しく批判した。
そうなると、太宗も態度を急変させた。
彼が標的にしたのが、元敬王后の実家だった。
もともと、元敬王后の実家は高麗王朝時代からの名門である。
しかも、一族の男子の多くが朝鮮王朝の要職に就いていて、家門の力が強かった。
そのことを太宗は極度に警戒するようになった。
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