李芳遠(イ・バンウォン)は太宗(テジョン)となっても継母を恨んだ

復讐の相手

李芳遠は激怒した。
「絶対に受け入れられない」
李芳遠は、1396年に神徳王后が亡くなったあと、急に乱を起こして李芳碩を殺してしまった。
病床にあった李成桂は、ただ傍観するしかなかった。
先に兄を即位させたあとで、1400年に李芳遠は満を持して3代王の太宗(テジョン)となった。
彼は実力派の大王として、朝鮮王朝の基盤を万全にした。
それでも、李芳遠は満足しなかった。
彼には絶対に復讐しなければいけない人物がいた。それが、すでに亡くなっていた継母の神徳王后だった。




李成桂が生きている間は動かなかったが、1408年に父が世を去ると、すぐに神徳王后の墓を標的にした。
(ページ3に続く)

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