タグ:イ・サン
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イ・サンの最大の政敵は誰だったのか
米びつに閉じ込められて餓死した父(思悼世子〔サドセジャ〕)を心から追慕した正祖(チョンジョ)は、水原(スウォン)に父の立派な墓をつくって城郭都市を築き、そこに都を移すことさえ考えていました。このように…詳細を見る -
イ・サンの生涯は救いようがない最期で終わった!
正祖(チョンジョ)にとっては、息子の純祖(スンジョ)が10歳で貞純(チョンスン)王后の摂政を受けたことは誤算でしょう。しかし、この点で正祖は迂闊でした。なぜなら、もしも自分に何かあった場合に、純祖にど…詳細を見る -
正祖(チョンジョ)の命を狙った暗殺団が王宮に侵入した!
1777年7月28日の深夜、即位して2年目の正祖(チョンジョ)は王宮で本を読んでいた。突然、王宮の回廊の上から、瓦を踏む足音が聞こえてきた。正祖は耳をすませた。どう考えても、人間の足音にしか聞こえなか…詳細を見る -
イ・サンが名君として歴史に名を残せた理由は?
1775年11月30日、英祖(ヨンジョ)は重臣たちと世孫(セソン/王の後継者となる孫のことで後の正祖〔チョンジョ〕)を集めて「重臣たちを信じることができない。余はすべてのことを世孫にまかせたい」と宣言…詳細を見る -
イ・サン(正祖〔チョンジョ〕)は「漢方薬の達人」だった!
朝鮮王朝後期の名君として名声を博した正祖(チョンジョ)。時代劇『イ・サン』の主人公としてもよく知られている。彼は優秀な国王であっただけでなく、漢方薬についても医者ほどに詳しかった。 医官に薬…詳細を見る -
イ・サンこと正祖(チョンジョ)はどのように亡くなったのか
それは1800年6月のことだった。正祖(チョンジョ)は急な発熱で体調を崩した。からだに大きな腫れ物もできた。その痛みに苦しみながら、彼は薬を調合する現場を自ら視察している。毒殺されることを極度に警戒し…詳細を見る -
イ・サン(正祖〔チョンジョ〕)は本気で都を水原に移そうとした!
正祖は今の韓国でも“朝鮮王朝後期の名君”として揺るぎない評価を得ている。確かに、彼が残した業績は多い。党争に明け暮れる政権を立て直し、停滞していた国政を一変させて様々な改革を成し遂げた。こうした業績が…詳細を見る