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派閥争いを治めた21代王・英祖(ヨンジョ)/朝鮮王朝国王列伝21
生没年/1694年~1776年 在位/1724年~1776年 英祖(ヨンジョ)は、19代王・粛宗(スクチョン)と側室の淑嬪(スクピン)・崔(チェ)氏との間に生まれた。異母兄だった20代王・景宗…詳細を見る -
英祖(ヨンジョ)とイ・ソンこと思悼世子(サドセジャ)の反省文騒動!
英祖は落胆した。彼の次に国王になることが決まっている世子のイ・ソンこと思悼世子(サドセジャ)の評判が極端に悪かったからだ。もともと、思悼世子は幼い頃から聡明だった。学問に励み、詩作や書道で才能を発揮し…詳細を見る -
「イ・ソン」こと思悼世子(サドセジャ)の悲しい最期!
朝鮮王朝の王家の中でイ・ソンといえば、思悼世子(サドセジャ)のことだ。史実においては、彼の悲劇的な最期があまりに有名だ。 謀反を告発された世子 イ・ソンは1735年に英祖(…詳細を見る -
〔物語〕もし英祖(ヨンジョ)が現代に甦ったら何を語る?
英祖(ヨンジョ)とは誰か? 生没年は1694年~1776年。ドラマ『トンイ』の主人公となった淑嬪(スクピン)・崔(チェ)氏を母に、19代王・粛宗(スクチョン)を父に生まれた。1724年に異母兄の景宗…詳細を見る -
英祖(ヨンジョ)は思悼世子(サドセジャ)を米びつに閉じ込めるとき何を語ったか
1762年5月22日、思悼世子(サドセジャ)が住む東宮で働く羅景彦(ナ・ギョンオン)が「世子が謀反をたくらんでいます」と訴え出てきた。報告を受けた英祖(ヨンジョ)は驚愕し、思悼世子を呼びつけた。 …詳細を見る -
英祖(ヨンジョ)の生涯4/なぜ思悼世子(サドセジャ)を餓死させたか
世子を廃された荘献は、ただ許しを請うばかりで一向に自決しようとはしなかったため、英祖は配下の者に米びつを持ってこさせた。その中に荘献を閉じこめて、「絶対に米びつのフタを開けてはならない」と言った。 …詳細を見る -
英祖(ヨンジョ)の生涯3/なぜ思悼世子(サドセジャ)を餓死させたか
数年の間、景宗毒殺の噂に悩まされ続けた英祖だが、その苦境を脱した後は徐々に王権を安定させていった。英祖の最初の妻は貞聖(チョンソン)王后だが、2人の間に子供はいなかった。英祖の最初の子供は側室から生ま…詳細を見る -
英祖(ヨンジョ)の生涯2/なぜ思悼世子(サドセジャ)を餓死させたか
景宗(キョンジョン)が早世したことで、淑嬪(スクピン)・崔(チェ)氏の息子だった延礽君(ヨニングン)が21代王・英祖(ヨンジョ)として即位した。彼は、王としてどのような政治を行なったのだろうか。 …詳細を見る -
英祖(ヨンジョ)の生涯1/なぜ思悼世子(サドセジャ)を餓死させたのか
朝鮮王朝21代王・英祖(ヨンジョ)は、27人の王の中で一番長生きした王として知られている。彼は、自分の息子を餓死させるという事件を起こしているが、いったいなぜそんなことをしたのだろうか。 …詳細を見る