タグ:貞純王后
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貞純(チョンスン)王后!政治を好き勝手に動かした恐ろしい王妃
貞純(チョンスン)王后は、21代王・英祖(ヨンジョ)の二番目の正室となった女性である。彼女は、王妃として政治を自分の思い通りに動かしたのだが、どのような人生を過ごしたのだろうか。 王妃となっ…詳細を見る -
正祖(チョンジョ)の改革をつぶした貞純(チョンスン)王后
正祖(チョンジョ)は名君として今の韓国でも尊敬されています。4代王・世宗(セジョン)ほどではないにしても、その次くらいの評価を得ています。政治的な業績もたくさんありますが、特に、身分が低くても才能があ…詳細を見る -
正祖(チョンジョ)は貞純(チョンスン)王后を処罰しなかった
1762年に米びつの中で餓死した思悼世子(サドセジャ)には10歳の息子がいて、英祖が1776年に亡くなったときに王位を継いでいます。それが22代王の正祖(チョンジョ)です。ドラマ『イ・サン』の主人公に…詳細を見る -
王妃側室列伝13「貞純(チョンスン)王后」
1800年、名君として名高い22代王・正祖(チョンジョ)が亡くなり、その息子が10歳の若さで23代王・純祖(スンジョ)として即位した。幼い純祖が王位についたのは、正祖には他に息子がいなかったからだ。し…詳細を見る -
正祖(チョンジョ)を悩ませた恵慶宮(ヘギョングン)と貞純(チョンスン)王后!
ドラマ『イ・サン』の主人公は22代王の正祖(チョンジョ)である。彼を取り巻く2人の女性に注目してみよう。1人は母の恵慶宮(ヘギョングン)であり、もう1人は形の上で祖母となる貞純(チョンスン)王后だ。 …詳細を見る -
巨悪だった貞純(チョンスン)王后/朝鮮王朝悪女列伝6
1762年、英祖(ヨンジョ)は息子の思悼(サド)世子を米びつに閉じ込めて餓死させた。なぜ、親子の確執が生まれたのか。当時、王宮の中でも派閥争いが激化していた。その中で、思悼世子を陥れるために彼の行状を…詳細を見る