世渡り上手で大出世した韓明澮(ハン・ミョンフェ)!

 

『王女の男』をはじめとして多くの時代劇に登場する韓明澮(ハン・ミョンフェ)。「不気味な策士」という印象が強いが、果たしてどんな人物だったのだろうか。彼の人生にスポットを当ててみよう。

科挙に何度も失敗

韓明澮は1415年に生まれた。
彼は、名門の出身でありながら早く親をなくして、少年時代は不遇だった。それでも学問に励み、優れた学識を得たが、科挙には何度も失敗した。朝鮮王朝では、科挙に受からないと社会的な成功を得られなかった。
生活が苦しくなった韓明澮は、先祖の功によって官職に就ける制度を利用して、ようやく官職を得た。
しかし、それは開城(ケソン)にあった初代王・太祖(テジョ)の屋敷を管理するという薄給の仕事だった。




このときの韓明澮に関するエピソードで生まれたのが「松都契員(ソンドケウォン)」という言葉だ。
契というのは一種の社交クラブで、松都契は松都(開城)の官僚たちで作られていたものだ。ある日、松都契の飲み会が開かれた場所に韓明澮が来て、参席したいと言った。一同は彼の官職が低いと蔑視し、あざけり笑った。
しかし、数年後、韓明澮が大出世を果たすと、当時の契員がそれを知って恥じらい、また嘆いたという。
以来、見かけだけで人を見下す者を「松都契員」と呼んだ。(ページ2に続く)

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