派閥争いを治めた21代王・英祖(ヨンジョ)/朝鮮王朝国王列伝21

 

生没年/1694年~1776年
在位/1724年~1776年

英祖(ヨンジョ)は、19代王・粛宗(スクチョン)と側室の淑嬪(スクピン)・崔(チェ)氏との間に生まれた。異母兄だった20代王・景宗(キョンジョン)が世を去った後に21代王として即位した。英祖は自身をも巻き込んだ派閥争いを解消するために尽力した。

英祖が行なった政策

最初の頃は自分を擁護する人材を周囲に置いた英祖だが、次第に派閥に関係なく人材を登用していった。
この英祖の政策で、政局は一時的に安定した。
そうした政治が4年も続いたある日、いつ宮中を追放されるのかと不安に思っていた景宗派の高官たちは、各地の仲間と連絡をとり大規模な反乱を起こした。



だが、この反乱は英祖の指揮する軍勢によって、簡単に鎮圧されてしまった。その結果、景宗派の勢力は弱まった。
それでも、英祖は景宗派からも人材を登用し、人事の不公平感をなるべくなくした。
また、英祖は誰よりも庶民の生活を気にかけていた。彼は、少しでも庶民の負担を減らそうと大幅な減税を実施した。
(ページ2に続く)

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