カテゴリー:歴史物語
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端宗(タンジョン)の哀しい最期!朝鮮王朝五大悲劇1
6代王の端宗(タンジョン)は1455年に叔父の世祖(セジョ)に王位を奪われてしまった。このとき、まだ14歳だった。彼の復位運動が活発になったが、「死六臣」事件が起きて、6人の有能な高官たちが命を奪われ…詳細を見る -
仁粋大妃(インステビ)とはどういう女性だったのか
仁粋(インス)大妃(テビ)は、7代王・世祖(セジョ)の長男だった懿敬(ウィギョン)の妻でした。ここでは実家の姓である韓氏(ハンシ)と呼びましょう。懿敬は19歳で突然亡くなり、韓氏は20歳で息子が2人に…詳細を見る -
中宗(チュンジョン)の挫折!理想的な政治ができなかった国王
中宗(チュンジョン)は、異母兄の燕山君(ヨンサングン)が暴政の末に廃位となったので、1506年に「代理の王」のような形で11代王になった。それが、彼にとっての苦悩の始まりであった……。 …詳細を見る -
張禧嬪(チャン・ヒビン)こそが朝鮮王朝で一番有名な女性!
張禧嬪(チャン・ヒビン)は親戚に通訳官をしている人がいたことから、そのコネで女官として王宮に入ってきた。大変な美女だったということで、やがて19代王・粛宗(スクチョン)の寵愛を受けるようになった。 …詳細を見る -
英祖(ヨンジョ)とイ・ソンこと思悼世子(サドセジャ)の反省文騒動!
英祖は落胆した。彼の次に国王になることが決まっている世子のイ・ソンこと思悼世子(サドセジャ)の評判が極端に悪かったからだ。もともと、思悼世子は幼い頃から聡明だった。学問に励み、詩作や書道で才能を発揮し…詳細を見る -
悲しき運命!昭顕(ソヒョン)世子・思悼(サド)世子・孝明(ヒョミョン)世子
世子(セジャ)と言えば、皇太子のことである。国王が死ねば次の国王になる王子たちであり、非常に重要な役割を担っていた。その世子の中で、3人の悲劇的な人たちを取り上げてみよう。 昭顕世子(ソヒョ…詳細を見る -
史上最悪の夫婦!鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)と尹元衡(ユン・ウォニョン)
尹元衡(ユン・ウォニョン)は、11代王・中宗(チュンジョン)の継妃となった文定(ムンジョン)王后の実弟である。その尹元衡の妾となったのが鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)であった。 [caption …詳細を見る -
『七日の王妃』に登場する端敬(タンギョン)王后の運命!
韓国時代劇の『七日の王妃』はタイトルの意味が深い。朝鮮王朝の歴史上、わずか7日間だけ王妃の座に就いた女性が存在する。それが、1487年に生まれて1557年に亡くなった端敬(タンギョン)王后である(端敬…詳細を見る