タグ:朝鮮王朝
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中宗(チュンジョン)のコンプレックスだらけの王座!(再読版)
1506年にクーデターで暴君の燕山君(ヨンサングン)を王宮から追放した高官たちは、燕山君の異母弟を次の王位に指名した。それが11代王の中宗(チュンジョン)だった。そんな経緯があったので、中宗はクーデタ…詳細を見る -
首陽大君(スヤンデグン/世祖〔セジョ〕)はなぜ政変を起こしたのか
首陽大君(スヤンデグン)は甥が国王になっていたのに、自分も王位に執着した。その執着の根底には、官僚主導の政治に対する反感もあった。果たして、首陽大君はなぜ強硬な政変劇を起こしたのか。 [capt…詳細を見る -
端宗(タンジョン)の哀しい最期!朝鮮王朝五大悲劇1
6代王の端宗(タンジョン)は1455年に叔父の世祖(セジョ)に王位を奪われてしまった。このとき、まだ14歳だった。彼の復位運動が活発になったが、「死六臣」事件が起きて、6人の有能な高官たちが命を奪われ…詳細を見る -
最強の親子!イ・バンウォン(太宗〔テジョン〕)と世宗(セジョン)(再読版)
世宗(セジョン)が1397年に生まれたとき、父親の太宗(テジョン)は波乱の中にいた。彼は世子(セジャ)の指名からはずれてしまったが、異母弟の芳碩(パンソク)を排除して自分が正当な王位継承者であることを…詳細を見る -
仁粋大妃(インステビ)とはどういう女性だったのか
仁粋(インス)大妃(テビ)は、7代王・世祖(セジョ)の長男だった懿敬(ウィギョン)の妻でした。ここでは実家の姓である韓氏(ハンシ)と呼びましょう。懿敬は19歳で突然亡くなり、韓氏は20歳で息子が2人に…詳細を見る -
中宗(チュンジョン)の挫折!理想的な政治ができなかった国王
中宗(チュンジョン)は、異母兄の燕山君(ヨンサングン)が暴政の末に廃位となったので、1506年に「代理の王」のような形で11代王になった。それが、彼にとっての苦悩の始まりであった……。 …詳細を見る -
首陽大君(スヤンデグン)が起こした癸酉靖難(ケユジョンナン)とは何か
1452年、5代王の文宗(ムンジョン)が亡くなった。まだ11歳だった長男の端宗(タンジョン)が6代王として即位することになり、野心家たちのくすぶっていた権力欲に火がついてしまった。 [capti…詳細を見る -
燕山君(ヨンサングン)はどれだけひどい暴君だったのか(再読版)
9代王の成宗(ソンジョン)は数々の政治的な業績をなし遂げ、名君に列せられるほどの評価を受けた。ただ、女性との間で騒動をいくつか起こしている。その最たるものが正妻の尹(ユン)氏を廃妃(ペビ)にした事件だ…詳細を見る -
張禧嬪(チャン・ヒビン)に死罪を命じた粛宗(スクチョン)に高官が大反対!
粛宗(スクチョン)の正室だった仁顕(イニョン)王后は、1701年8月に亡くなります。すると、淑嬪(スクピン)・崔(チェ)氏が「張禧嬪(チャン・ヒビン)が呪詛(じゅそ)していた」と告発し、粛宗は張禧嬪に…詳細を見る -
張禧嬪(チャン・ヒビン)こそが朝鮮王朝で一番有名な女性!
張禧嬪(チャン・ヒビン)は親戚に通訳官をしている人がいたことから、そのコネで女官として王宮に入ってきた。大変な美女だったということで、やがて19代王・粛宗(スクチョン)の寵愛を受けるようになった。 …詳細を見る