タグ:正祖
-
イ・サン(正祖〔チョンジョ〕)の毒殺疑惑4
1800年6月、正祖(チョンジョ)は危篤状態に陥った。貞純(チョンスン)王后はこう叫んだ。「私が直接薬を差し上げてみるから、臣下の者たちはしばらく下がっていなさい」。その命令を受けて、重臣たちは部屋の…詳細を見る -
イ・サン(正祖〔チョンジョ〕)の毒殺疑惑3
1800年6月に発病した正祖(チョンジョ)。徐々に身体が衰弱していった。6月28日になると、病状はかなり悪化していき、病床を囲む医官たちの間でも緊張感がみなぎっていった。 煎…詳細を見る -
イ・サン(正祖〔チョンジョ〕)の毒殺疑惑2
22代王・正祖(チョンジョ)が病をわずらったのは1800年の6月下旬だった。旧暦の6月下旬というと、新暦でいえば7月から8月にかけての頃である。蒸し暑い日が続き、正祖は「毎日よく眠れない」と嘆いた。 …詳細を見る -
イ・サン(正祖〔チョンジョ〕)の毒殺疑惑1
朝鮮王朝にいた27人の王の中で、ドラマ『イ・サン』の主人公になった22代王・正祖(チョンジョ)ほど学問に精通した王は他にいなかった。「学問の道に進んでいれば、大学者になっていたことだろう」。そう評価さ…詳細を見る -
『イ・サン』の主人公の正祖(チョンジョ)は本当に名君だった?
朝鮮王朝時代の名君と言えば、なんといっても、ハングルを作った4代王・世宗(セジョン)があまりに有名だ。今でも韓国の小学校に行けば世宗の銅像がよくあるし、1万ウォン紙幣の肖像画になっている。この世宗に名…詳細を見る -
世宗(セジョン)と正祖(チョンジョ)の実例!朝鮮王朝の王の食膳とは?
朝鮮王朝の王の食膳には、超豪華な料理がズラリと並ぶのが通例だった。「食べきれないのに、なぜあんなに多くの品数を出すのだろうか」と疑問に思えるが、あれは食べるための料理ではなかったのである。それでは何の…詳細を見る -
正祖(チョンジョ)が王として歩んだ人生とは?
傑作時代劇『イ・サン』の主人公になった22代王の正祖(チョンジョ)は、1752年に生まれた。父は思悼世子(サドセジャ)で母は恵慶宮(ヘギョングン)であった。史実の正祖はどんな人生を歩んだのだろうか。 …詳細を見る -
正祖(チョンジョ)の改革をつぶした貞純(チョンスン)王后
正祖(チョンジョ)は名君として今の韓国でも尊敬されています。4代王・世宗(セジョン)ほどではないにしても、その次くらいの評価を得ています。政治的な業績もたくさんありますが、特に、身分が低くても才能があ…詳細を見る -
正祖(チョンジョ)は貞純(チョンスン)王后を処罰しなかった
1762年に米びつの中で餓死した思悼世子(サドセジャ)には10歳の息子がいて、英祖が1776年に亡くなったときに王位を継いでいます。それが22代王の正祖(チョンジョ)です。ドラマ『イ・サン』の主人公に…詳細を見る -
正祖(チョンジョ)を悩ませた恵慶宮(ヘギョングン)と貞純(チョンスン)王后!
ドラマ『イ・サン』の主人公は22代王の正祖(チョンジョ)である。彼を取り巻く2人の女性に注目してみよう。1人は母の恵慶宮(ヘギョングン)であり、もう1人は形の上で祖母となる貞純(チョンスン)王后だ。 …詳細を見る